縁起の良い夢
(むかし聞いた落語「天狗裁き」が頭に残っていて再現したくてメモしてみました)
ある日、女房が帰ってきて、八五郎に言います。
「お向かいの又さんが、マムシをまたいだ夢を見たんだってさ。そしたら客足が増えて、店を大きくして、たくさん奉公人を使って繁盛してるんだとさ。あんたも、のそのそしてないで、いい夢みてさ、お金儲けしてよ」
「良い夢みるとはかぎらねえじゃないか」
「じれったいねえ。お前さんはだからダメだっていうんだよ。さ、早くお寝よ」
「なにお!まだ眠くないよ」
「良いから早くお寝ったら」
八五郎は根負けして横になる。すぐ寝てしまう。寝ながら笑ったり、口をもぐもぐさせたりする。
女房、やったとばかりに八五郎を起こす。
どんな夢見た?
「お前さん、いま夢みたね。どんな夢みた?」八五郎しらける。
「まだ、見ちゃいねえよ」
「いや、みた」
「見ねえものは見ねえってんだ。分からねえ奴だな」
「お前さん、女房のあたしに隠し事するの?」
「なにお?」
取っ組み合いのケンカになる。
大家(おおや)登場
大家(おおや)が来て止めに入る。
「こらこら、ケンカなんかしたら駄目だ」
二人の言い分を聞いて、大家は八五郎を自分の家に引き入れる。
「八五郎、大家と店子(たなこ)は親子の関係だぞ。だから言えるな。どんな夢を見たか女房には言えなくても俺だけには言えるだろう」
「困んなあ。大家さんだろうがお奉行さんだろうがウソをつくのは嫌だ。見ねえもんを見たなんて言えねえよ」大家は怒る。
「しかたがない。こうなったらお奉行様の所へ連れて行くしかないな」
奉行所
白洲(裁かれる白い砂利を敷いたところ)に神妙に座る八五郎に、お奉行様が言う。
「むやみに自分の見た夢を他人に話さないのは実に男らしいと言える。だが、ここは奉行所だ。女房や大家に言えなくてもここでは見た夢を言わなければならない。さあ、申してみよ。どんな夢を見た?」
「お奉行様。だから、見ねえもんは見ねえと言ってるんだ。お奉行様だろうが天狗様だろうが見ねえもんは言えねえじゃねえか」
「奉行所で言えんとなると、後は天狗様のお裁きを待つしかない。八五郎それでもいいんだな」
「いやですよ。天狗様は何をするか分かったもんじゃない。怖いですよ。でもウソだけははつきたくねえんだ」
「しかたがない。この者を、天狗の森へ連れて行け!」
天狗の森
八五郎は、山奥の天狗が出る森に連れて行かれ、木に吊るされた。
「ひどいことしやがる。何も悪いことしてないのに」
遠くでゴーンと鐘が鳴る。天狗が現れる。
「奉行所から連絡があったぞ。夢を見たのに正直に言わないとな。どうだ。おれには話せるだろう」
「いえ、言えません。だって夢見てないんですから」
「では、仕方がない。お前をこの羽団扇(はうちわ)で微塵(みじん)にしてくれるわ」
「待ってください。い、言います。言いますから、この縄を解いてください」
「うそ、いつわりはないな」
「嘘は申しません」
天狗、気合とともに羽団扇を振ると、縄が解けて、八五郎の体が下に落ちる。
「では、話せ」

下に落ちた八五郎、びっしょり汗をかいている。
「はなしますから、その団扇(うちわ)を貸して下さい」
「これはならん。天狗の羽団扇といって何でも出来るのだ。自由に空をとぶこともできるぞ」
「団扇を貸してくれなきゃ話しません」
「どうしてもか?」
「どうしてもです」
「きっと返せよ。それなら貸してやる」
「きっと返しますから」
八五郎、羽団扇を受け取って話し出す。
「わたしが見た夢はですな、屋台船がこっちに向かってやってきましてな、中から三味線の音が、すちゃらかちゃん、すちゃらかちゃんって聞こえてきましてな」
八五郎、羽団扇の力でどんどん空にのぼってゆく。天狗、あわてて、
「だめだ。そんなところへ上ってはいかん」
「冗談じゃねえや。戻ってたまるか。これをふんだくって、お前とはおさらばするのさ」
「ドロボー」天狗は叫びましたが後の祭りです。
八五郎、空を飛ぶ

八五郎は、気持ちよく空を飛び回っていましたが、築山(つきやま)があって、泉水があって、どれだけの財産があろうかと思われる大きなお屋敷の庭に降りた。人影が無いので変だなと思っていると、主人が泣きながら戸口から出てきたので、呼び止めて聞いた。
「これこれ、何かあったのか?」
「一人娘が大病を患って死にそうなのです」
「わたしは不思議な力を持っている。なんなら、診てしんぜようか」と八五郎。
「よろしくお願いします。もし娘を治して下さったなら全財産を差し上げます」
娘は、死んだように目をつむって横になっています。娘の枕元に座った八五郎は羽団扇で、
「えいやっ!」と掛け声をかけて羽団扇を一振りしました。すると娘は目を開け起き上がりました。
「お腹がすいた。ごはんが食べたい」
両親は抱き合って喜びました。
婚礼
その晩、さっそく婚礼の宴が開かれました。
ひな壇の八五郎と娘を、家中のものが祝福します。主人はお酌をしながら八五郎に優しく声をかけます。
「お疲れでございましたな。お床の用意はできております。娘や、いつでもご案内するのですよ」

(八五郎の気合と羽団扇の一振りで娘は元気になりました)
八五郎は、大あくびをします。
「それにしても、いろいろあって、きょうは疲れたな。さーて、そろそろ寝るとするか」
娘は八五郎の手をとって寝所に向かいます。八五郎はあらためて娘をしげしげと見ます。
「見れば見るほど美人だな」「そんな、恥ずかしいですわ」と娘は赤くなるのでした。
寝所に着きました。八五郎は娘に聞きます。「わたしは明日からここでどんな仕事をするのだ?」
娘は答えます。「仕事は奉公人に任せればいいのです。あなた様はずっとずっとわたしのそばにいてください。離れてはいけませんよ」
「そうか。それでは、仕事は奉公人に任せるとしよう。さ、恥ずかしがらずこっちへ来なさい」
「うれしいですわ」
その時です。八五郎の目の前に雷様が落ちるような大きな音がしました。目をぱちぱちしてよく見ると女の人の顔がありました。
「お前さん!」
「おまえ誰だ!」
「長年連れ添った女房の顔を忘れたのかい?」
「、、、なんだ、夢か」
八五郎は、現実に引き戻されます。
大家も、奉行所も、天狗も、全部夢だったのです。
天狗の歴史
天狗の歴史を調べると、天狗とは中国において凶事を知らせる流星を意味するものでありました。大気圏に突入し、大爆発をおこし大音響を発するとして人々から怖がられていたということです。
「天狗」2023.6.21(水)15:19 UTC『ウイキペディア日本語版』
今でも空から意味不明の物体が飛んできて爆発することがありますね。きっと天狗の仕業に違いありません。
この落語について
何年も前に聞いた、古今亭志ん生の「天狗裁きは」忘れられません。思い出しながら書いたので少し脱線しているかも知れません。お許し下さい。志ん生さんの江戸っ子弁は分かりにくいと言う人がいますが、ぼくは大好きです。志ん生さんがひと時住んでいた業平橋(墨田区)の近くにぼくの家がありました。下町ことばは懐かしいです。下町の銭湯なんかに行くと、いまだに威勢の良い江戸っ子弁を聞くことができます。