尚子さんの思い出
四谷見附交差点は新宿通り(甲州街道)と外濠通りが交差する交通の要衝である。
2003年4月13日。今から20年前、新宿区四谷見附交差点の、歩行者の邪魔にならない場所にキャンバスをたててスケッチをした。
ホテルニューオオタニが中央に見え、右に東京タワー、左に見えるのは上智大学の一部だろうか。
懐かしい。

現在、同じ場所から眺めたら20年前と景色はどんな風に変わっているだろうか、そんなことを考えていたら、トッチャンのことが思い出された。
トッチャンは同じ向島に住んでいたご近所さんだったが、3つ上のダンディーな先輩で、なにかとぼくを可愛がってくれた。
彼は西部劇に出てくるジョンウエイン似の美男子で女性にモテた。一時期トッチャンは四谷から路地を一本入ったステーキ屋で肉を焼いていた。
いわば雇われ店主で、割引をするから食べに来いと誘われ、何度か行った覚えがある。
ナンパ
ぼくが高1で16歳、トッチャンはたしか19歳のときだった。
ナンパに行こう誘われた。ナンパは不良がやることだし興味もないから笑って断っていたが、その日はポケットに小銭があり、何故だか彼について行った。
心の中で何かを期待していたのかも知れない。
隅田川の言問橋を渡ろうとしたら若い娘さん二人とすれ違った。15、6歳だろうか。
「一緒にボートに乗らないか。楽しいぜ。」
トッチャンが流ちょうな舌足らずな?日本語で二人を誘った。
迷うことなく彼女たちはついて来る。
トッチャンって凄腕、とぼくは感心した。
(当時、隅田川はあちこちにボート乗り場があって、誰でも気軽に乗れた。)
トッチャンは年上と思われる女の子の手を取ると、笑いながら、慣れた手つきでたくみにボートに載せ、漕いでどこかへ行ってしまった。
ぼくは赤面するのを感じながら、トッチャンの慣れた手つきを真似て、彼女の手をとり一番後部に座らせた。

恰好をつけたくて、いかにも慣れた手つきでボートを漕ぎだすと、川の真ん中に向かった。
ドキドキして胸が高鳴る。穏やかな日和で良かったね、と女の子の顔を見てぼくは話しかけた。
女の子は「浜離宮まで行こうよ。きっと楽しいわよ。」とあっけらかんと言う。
「遠すぎるでしょ。無理。」ぼくが笑って言うと、手を川に浸けてばちゃばちゃやって、
「冷たくて気持ちがいい。」と笑った。
盆踊りに誘われた
彼女は背はすらりとしているが顔は幼く見える。ぼくが何か言うたびに無邪気に笑う。
さっぱりした性格みたいだ。ぼくは名前を聞いた。尚子、と答えた。
尚子さんの口から発せられた次のセリフにぼくは仰天した。
「来週、日本堤で盆踊りがあるの。わたし浴衣を着るの。遊びに来ない?一緒に踊ろうよ。」
彼女はぼくを誘っている。
「うん。」ぼくは反射的に答えたものの戸惑った。どう見ても、まだ、中学生1年か2年。
もし尚子さんの親に見られたらぼくをとんでもない不良だと思うに違いない。
そして「とんでもないガキだ。可愛いうちの娘に近づきやがって」と怒ってぼくを殴るかもしれない。ぼくは怖くなった。やはり付き合うのは止めた方が良いかもしれない。
提灯の灯った屋台のまわりを踊りながら回る、浴衣姿の尚子さんはきれいだろうな。
想像すると胸が熱くなった。そうこうするうちにボートを返す時間がやってきた。尚子さんの柔らかな手をとると陸に安全に誘導した。
「ありがとう」彼女は言った。ぼくは赤面しているのがわかった。
手はにぎった?キスは?
二人の女の子と別れて、トッチャンがぼくに肩をぐいぐい寄せてきた。
「手は握ったかい。」
「もちろん。」だが、トッチャンの真似をして彼女に手を貸した、とは言わなかった。
「やるじゃないか。キスは?」
「まさか。相手はまだ中学生だよ。」
「だめだなあ。女は受け身なんだぞ。」
トッチャンは背の高い尚子さんのことを高校生だと思い込んでいる。
「盆踊りに誘われたけど断っちゃった。あの娘まだ子供だもの。まずいよ。」
トッチャンは腹をかかえて笑った。
「何言ってるの、けっこうボインだったじゃないか。もう立派な大人だって。もったいないことしたなあ。ま、次はうまくやるんだな。」とトッチャンはぼくの肩を勢いよく叩いた。
一人になってぼくの頭の中は尚子さんのことでいっぱいだった。尚子さんはぼくと付き合うとかじゃなくて、単に浴衣姿を見せたくて盆踊りに誘ったのかもしれない。親だってぼくを見たらニコニコ笑って「あら、向島からわざわざ遊びに来てくれたのね、これからも尚子のことよろしくね。」なんてかき氷なんかご馳走してくれたりして。意外と穏やかに物事が進んだかもしれないのだ。
と思うと、こんどは尚子さんの住所も聞かず、はっきりした返事もしなかったことを悔やんだ。
つくづくぼくは臆病で奥手だな思った。
ぼくにとって川向こうの浅草は、もちろん歓楽街だから派手ということもあったが、向島にくらべものにならないくらい賑やかで刺激的な街であった。
あれから何年もたつ。
尚子さんのほろ苦い記憶だけが残っている。