両国駅

スケッチ

アパート暮らし

定時制高校を卒業する19歳頃、ぼくは墨田区千歳町に暮らしていたことがある。
高校は向島にあったし、この後、門前仲町に引っ越すのであるが、1年ほど居た下町の面影があるこの辺りは、変に懐かしく、現在住んでいる練馬から電車に乗って両国にやって来た。

(2003.7.19 両国駅。暑い夏の初めで、駅の壁面にビールのポスターが貼ってあった。)

両国橋

JR総武線両国駅は、都心と千葉方面を結ぶ要所駅であるが、両国橋は、江戸時代、隅田川(当時は大川)が下総国(両国側)と武蔵国(浅草橋側)の国境であったため、大川はその両方にまたがっていることから両国橋の名称になったという。
両国橋を渡ると、すぐ浅草橋であるが、浅草の観音様にも近く、古くは、問屋や製造業が集まり、手芸、布、タオル、ボタン、アクセサリーなど、ファッションに関係した雑貨屋さんが立ち並び、若い人が大勢買い物に来ている。
両国橋は(昔は木の橋だった)商業的にも経時的にも、庶民にとって大事な橋だった。

三保が関(みほがせき)部屋

アパートの近くには、横綱北の湖、大関増位山や北天祐を輩出した三保が関部屋があって、朝早くからぶつかり稽古をする音が聞こえてきた。
駅から少し南に行くと、赤穂事件の吉良邸跡があって、現在は本所松坂公園として残されている。

両国国技館

2003年か2004年かはっきりしないが、日付の入っていない両国国技館のスケッチが出てきたので載せることにした。
道路側から描いたので幟に書かれた四股名が逆さまで読みにくくなっている。お許し願いたい。

(両国国技館と幟)

両国川開き

隅田川花火大会の歴史は1733年(享保18年)5月28日の両国川開きまで遡る。
大飢饉や疫病による死者供養と災厄除去を祈願して、花火師・6代目鍵屋弥兵衛が、花火を打ち上げたのが始まりと言われている。

1897年(明治30年)8月には、見物客の重みで両国橋(木の橋)が落ち、多くの死傷者が出る大惨事が起きた。
現在、両国での花火大会はないが、両国からは隅田川花火大会の第二会場(厩橋近辺)の花火が見られるという。

都営地下鉄大江戸線

両国駅は、以前はJR総武線だけだったが、大江戸線が開通して以来、都庁駅方面に乗れば春日駅、飯田橋駅方面に行ける。光が丘駅方面に乗れば門前仲町駅、大門駅、六本木駅、新宿駅、練馬駅方面とフットワークがよい。そして、途中の乗換駅から都内のどこへでも行けるようになった。
都営地下鉄大江戸線では、新宿御苑、浜離宮、清澄庭園、小石川後楽園など癒しがもらえる公園に行ける。東京のオアシスを手軽に楽しめるのはありがたいことである。

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