稲村ヶ崎公園
江ノ島電鉄 稲村ヶ崎駅下車徒歩5分、海沿いにある稲村ヶ崎公園に向かった。
小さな岬があって、遠くから眺めると稲穂がなびくように見えるので稲村ヶ崎とよばれるようになったそうである。(江の島電鉄の右手に見える岬が稲村ヶ崎-突先が崩れているように見える)

(2023.7.25)
この辺には製鉄所があったそうだ。砂浜の色が黒いのは鉄分が含まれているからで、今でもこの辺の砂を手に取るとキラキラ光るという。
新田義貞の鎌倉攻め
稲村ヶ崎は、古くは、鎌倉幕府を滅ぼすきっかけを作った、新田義貞の鎌倉攻めの場所としても知られる。新田軍は、ここまで攻めて来たが、前には断崖、海には軍船で困り果てていた。そこで持参の名刀を天子様に祈って海に沈めたところ、潮が引き、邪魔な軍船がいなくなり、一気に攻め込んで鎌倉幕府を滅ぼしたという。
真白き富士の嶺の歌
公園内には、逗子開成中学校ボート部 七里ヶ浜沖遭難事件の慰霊碑があった。
生徒を含む12人を乗せたボートが江の島に向かったが、沖で転覆、全員死亡という痛ましい事故を慰霊したものだ。「真白き富士の嶺」という有名な歌になったが「七里ヶ丘哀歌」ともいわれる。
絶好の秋日和
今日は、風もなく良い天気。
公園から西を眺めると、右手に七里ガ浜、左手に江の島、中央には富士山がでんと構えている。
スケッチブックを取り出したが、しばらくの間、景色に見とれていた。

(2003.9.29)
正面に富士山を見て、右方向が東京方面で、富士山手前の山々は左に向って十国峠、伊豆方面。
そうそう、調べていたらウィキペディアに、稲村ヶ崎を詠ったと思われる万葉集の歌を見つけたので紹介したい。万葉集は奈良時代末期に作られたという。今から1200年前にどんな気持ちで詠んだのか興味を持った。
万葉集 作者不詳
鎌倉の 見越しの崎の 岩崩(いわくえ)の 君が悔ゆべき 心は持たじ (作者不詳)
(歌の意味)
鎌倉の見越しの崎(稲村ヶ崎)の岩崩れのように あなたが後悔するような そんな気持ちをわたしは持ちませんわ
むかし稲村ヶ崎の断崖の突先は、ハゲハゲになっているところがあって時々崩れたのだろう。そんな「岩崩れ」と、しきりと「後悔する」相手の心情を同一視して、詠ったものと思われる。