熱海の由来
熱海という名称が、何処から来たのか調べたら、熱海市の公式ウエブサイトに載っていた。
奈良時代、箱根の万巻上人が、海中に沸く熱湯によって魚類が焼け死に、甚大な被害を被っていた漁民たちの訴えを聞き、祈願によって泉脈を海中から山里へ移し、「この前に社を建てて拝めば、現世も病も治す、来世も幸せに暮らせる」と人々に説いたと伝承されています。この源泉が現在の大湯であり、そのお社は薬師如来と少彦名神(すくなひこなのかみ)をお祀りしてこの地の守り神とした、湯前権現(現在の湯前神社)であるといわれています。
また、「熱海」とかいて「あたみ」と読むこの地名の由来は、海中より温泉が凄まじく沸き上がり、海水がことごとく熱湯になったため、「あつうみが崎」と呼ばれ、それが変じて「あたみ」になったと言われています。
熱海全景
その、温泉に浸かろうと、熱海にやってきた。
泊まったホテルのベランダから熱海の全景が見えて、見開きでスケッチした。

(2003.8.3)
熱海、宇佐美、湯河原は、東京から2時間前後と近いので、何度も泊まりで遊びに行っている。今から
5年ほど前、やはり熱海に泊まった帰りに伊豆山神社に寄った。3月末で枝垂れ桜がきれいだった。ここは源頼朝と北条政子の出会いの場所だそうで、熱海市公式ホームページに詳しく書いてあったのでそのまま引用させていただくことにしました。
逢初橋(あいぞめばし)
鎌倉の尼将軍と名をはせた北条政子は伊豆韮山の小豪族の娘。伊豆韮山の「蛭ヶ小島」に島流しにあった源頼朝と恋に落ち、お互いに結ばれることを望みました。しかし、政子の父である北条時政はこの結婚に猛反対。平家全盛の世、源氏の流人である頼朝の前途は絶望的であり、源氏との縁組は北条家にとって命取りになると考えたからです。時政は、伊豆国の目代(もくだい)、山木判官平兼隆に嫁がせることを決めてしまいました。
婚礼の夜、政子は全てを捨てる覚悟で酒宴を抜け出し、日金七里(十国峠)を超えて、伊豆山に逃れ、足川の地に隠れ住みました。そして、伊豆権現(走湯権現ー現在の伊豆山神社)の坊にいた頼朝は部下の知らせを受け、逢初橋(あいぞめばし)の上で政子と劇的な対面をしたと言われています。

伊豆山神社は、また、頼朝を崇拝した家康にも縁があったとホームページに書かれていました。
伊豆山神社は「強運の神社」
伊豆山神社は鎌倉幕府初代将軍の源頼朝が源氏再興を祈願し、その後悲願を成し遂げたことで「関八州絵鎮護」の名を授かりました。また、頼朝を深く崇拝した徳川家康は頼朝に習い、天下を獲る野望を祈願し、その後徳川幕府開府を成し遂げました。伊豆山神社は源頼朝と徳川家康に深く崇拝された「強運の神社」として知られています。
そうか。伊豆山神社は歴史的に「強運の神社」だったことがわかった。以前行ったときは境内の、頼朝と政子の腰かけ石や、光り石などに気が付かなかった。枝垂れ桜も綺麗いだし、また行きたいと考えています。

(2018.3.31伊豆山神社境内にて撮影)
それにしても、伊豆山神社の枝垂れ桜は見事でした。