インタビュー
朝から暑かった。大仏様の斜め前の日陰になる木の下で大仏さまを描いていた。そろそろ絵も完成というとき、5人の女の子がためらいながらやってきた。小学6年生で埼玉県越谷から修学旅行で来たという。

(2003.9.30)
手にはメモ用紙と鉛筆を持っている。グループの代表だろう、長身の女の子が言った。
「こんにちは。わたしたちは課外授業として旅先で大人の方からお仕事の話を聞いているのですがインタビューしてもよろしいですか。」
「どうぞ、なんでも質問してください。」ぼくは絵筆を置いた。
長身の女の子が続けた。
「よろしくお願いします。あのー、ここで絵を描いている理由を教えてください。」
「ぼくは絵を趣味で描いてます。不思議な縁から絵を描くことになりましてね。」とぼくは答えた。
女子生徒たちは次にぼくが何を話しだすか待っている。
「今から5年前のことです。30年ほど働いた会社を辞め、毎日お酒ばかり飲んでだらしない生活をしていた時期がありました。二日酔いで喉が渇いて目を覚ました。水を飲みながら窓の外を見ると雪が降っていた。おお寒い。そして、目の隅に、他の白いものが見えました。庭には梅の木があります。そうか、2月初めだ。そろそろ花が咲き初めてもいい頃だなあ。行って確かめてみよう。ぼくは食卓にあったメモ用紙と鉛筆を持つと、寝巻のまま外に飛び出した。大胆にもスケッチしようとしたのです。絵心がないぼくが何故そのような衝動に駆られたのか分かりません。そして、梅の木を見上げるとピンクがかった白い花が一輪咲いていました。」
その可憐な美しいこと。しばらく見とれていました。

「なんてかわいいのだろう。」ぼくは、何度も見つめて、ヘタだけど丁寧にゆっくりとスケッチしました。冷たい風が薄着の体を何度もなでて行きました。おー寒い。ぼくは大急ぎで家にもどると布団をかぶってまた寝てしまいました。

(実際の梅の木。2023.2月末)
3か月経った5月半ば
五十嵐さん、という隣の奥さんとゴミ出しで一緒になった。
お互いあいさつのあと、「今年は梅の実が豊作ね。」と五十嵐さんがおっしゃった。
「梅の実ですって?」
梅の木を見上げると、葉にかくれるように梅の実がぎっしり生っている。
「これは一体どうした事だ?」
ぼくは口をあんぐり開けたまましばらく見入っていました。
肥料など与えたことはないのにな。毎年実はつけるのです。ほんのちょっと。
頭を整理するために、ぼくは家に戻りコーヒーを沸かした。家の中を歩きながら考えた。
ひょっとして。あの日。寒い2月、雪の降る外に寝巻のまま外に飛び出して一輪の梅の花を描いたことを思い出しました。サボテンを育てている人が「早く花を見たい」と言ったら、翌月見事な花を咲かせたおいう話を聞いたことがある。
普段見向きもしないぼくが、「きれいだ」といってスケッチしたら、褒められた梅は喜んで3か月後にたくさんの実をつけてくれた。ぼくにご褒美をくれた。そういうことだったんだ。
なんという素晴らしい贈り物でしょう。そして梅がぼくにコンタクトしてくれたことが嬉しかった。

(2023.5.30撮影)
それから、ぼくの生き方はがらりと変わりました。体に良くないと思っていたタバコも酒もきっぱりやめました。そしてご近所の木や花をしげしげと眺め声を掛けたりもしました。歩いてすぐそばの石神井公園や光が丘公園にも鑑賞に出向くようになりました。
そして、眺めているうちに、いろんな魔法の色がインプットされて、頭の中をぐるぐる回りはじめた。
そうこうするうちに、鮮やかな絵の具を並べたパレットが頭の中に浮かびました。そうだ。絵を描いてみよう。
電車に飛び乗って、池袋に行き、大きなスケッチブック、絵具、筆、アルミの折り畳み椅子、などを買い揃えました。その上スケッチ旅行の計画まで立てたのです。

ぼくは衝動に駆られるとあまり考えないで行動するタイプです。
その時は肯定的なことしか頭にありませんでした。会社をやめても多少の蓄えは残っていましたから当分は絵が描けそうです。
そして、瀬戸内海に面した広島の尾道に行きました。最初に選んだスケッチの旅先です。一度行ってみたかった場所です。
天気に恵まれ、なんとか3枚描きました。
初めは何から描いてよいかわからなかった。あせらず、景色を眺めていたら、景色がぼくに話しかけてくる。こっちを描いて!こっちも描いて!といった風に。そのうち、勝手に筆が動き始めるのです。絵を描いているその時間はまさに至福の時でした。そして、その後スケッチの旅が数年続いたのです。現在スケッチブックが20冊近くになりました。

ぼくの話はこれでおしまいです。
「ありがとうございました。」
「こちらこそ。」
子供たちは、ぼくにお辞儀をすると集合場所の方へ立ち去って行きました。
もう20年も前のこと。それぞれ成人して活躍されていることでしょう。
キラキラした美しい眼差しで最後まで聞いてくれた小学生のインタビューのことが、昨日のことのように懐かしく思い出されます。
