新宿西口

スケッチ

東京都庁

光が丘から地下鉄の大江戸線に乗った。
38も駅があるのだから絵になる風景を思いついたらそこで降りようと思う。都営線のフリーパス券をもっていたからこういう場合は便利だ。都庁前で飯田橋と六本木方向に分かれるから、いったん下車することにした。

職員食堂からの景色

都庁の西側の新宿中央公園で描こうかと思ったがエレベーター前で気が変わった。32階に職員食堂がある。見晴らしがよければ雨の心配なく絵が描ける。自販機でB定食をたのみ窓際に陣取った。ご飯にみそ汁、野菜炒めと唐揚げで600円は安い。味はまあまあであったが、絵を描く準備があるから急いで食べた。南西の大きな窓の向こうに六本木のビル群が林立している。

(2003.4.7)
 東京タワーを捜したが、ここは展望台よりかなり下だから、ビルの陰に隠れているようだ。真ん中に赤い東京タワーがあると絵が引きしまるのだが見えないものを描くわけにはいかない。後ろから、食堂の係の人から声をかけられた。「14時で食堂はクローズになります。よろしかったら喫茶室に移動してください。」ぼくは慌てた。移動したら絵の続きが描けない。「急ぎます。」ぼくはせわし気に筆を動かした。食堂の都合は知らなかったがこっちだって途中でやめる訳にいかないのだ。「ご迷惑をかけました」14時15分、出口で詫びを入れ、エレベーターで地上階に降りた。(そりゃそうだ。ここは都庁職員の胃袋をみたすところで絵を描くところではなかったのだ。)

満開の桜

 まだ明るい。満開の桜を入れて、都庁正面から新宿西口方面を描いたらどうだろうか。即、実行。

(2003.4.7)
 東京都庁は1990年建築家の丹下健三氏の設計で建てられた。世界の丹下と言われたように国内外で有名建築物を多数手がけられた。東京オリンピック総合競技場、フジテレビ本社ビル、東京カテドラル聖マリアナ大聖堂、東京ドームホテル等々、建物の名を連ねたらきりがない。
 この辺りは浄水場の跡地だった。新宿福都心計画が進み、京王プラザホテルが建った1970年をよく覚えている。それから、あれよあれよという間に、新宿住友ビル、新宿センタービル、センチュリーハイアット、新宿三井ビルなど、競うようにびっしり立ち並んだ。
 東京タワー、新幹線、首都高の時もそうだったが、日本人のパワーの凄さを感じたものだ。

思い出横丁

 新宿西口と言えば、思い出横丁(しょんべん横丁)が懐かしい。25年前酒は止めたが、あの狭い路地の両側に、焼き鳥、モツ煮込み、ホルモン焼き、一品料理などの赤ちょうちんががひしめいていた。路地の住人のような顔をして、手当たり次第に入って酒やホッピーを注文し遅くまで飲んだものである。
深夜がせまると、仕上げに中華そばか脂っこい焼きそばを頬張り、最終電車にすべりこむ。終電車は酒と食い物の匂いが入り混じり異様な臭いがしたものだ。

都庁展望台

 さて、コロナも落ち着いた2022年元旦、都庁の展望台に上って富士山を見た。

(2022.1.1)

写真をイラストにすると

(2023.7.15)
当時の写真を参考にイラストを描いたら、なんとも庭のような楽園になった。
イラストはその時の想像で、美しくも、コミカルにも表現できるので楽しい。
この夢の芝生の上を、東へ、西へ、寄り道しながらトコトコ富士山まで歩いたら、一体どのくらいで着けるだっろうか?考えるだけで楽しくなってきた。


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