わらしべ長者

雑事

奈良 長谷寺

以前、鎌倉・長谷寺にお邪魔して、山門の椨の木をスケッチしたことをブログに載せた時、総本山は奈良にある事が分かりました。

長谷寺は、奈良県桜井市初瀬(はせ)にある真言宗豊山派の総本山の寺院。
本尊は十一面観音(十一面観世音菩薩)。開山は道明とされる。
大和国と伊勢国を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬から5月上旬は150種類以上、7000株といわれる牡丹が満開になり、当寺は「花の御寺」と称されている。
また『枕草子』『源氏物語』『更級日記』など多くの古典文学にも登場する。    
   

長谷寺のホームページを見ていたら、今昔物語に由来がある「わらしべ長者」のことが載っていました。
「わらしべ長者」は絵本や童話でいろいろなバージョンがありますが、奈良・長谷寺のお話がもとになっていることを知り、イラストで描いてみたくなりました。

青侍

今は昔、京に、父母も、妻子もない青侍がいました。
ある時、長谷寺にお参りして、
「わたしが貧乏で終わるなら、ここで餓死します。何か、少しでもお与え下さるなら夢でお知らせください。わたしはここを動きません」
と言って、ひれ伏した。

僧たちは困って男に食べ物を与えた。そして21日間が過ぎた。

21日目の晩、男の夢に、僧が現れ、
「お前が寺を出て行く時、手に触れた物があれば、それが頂戴できる物だから持って行きなさい」
という。

大門でつまづく

そこで、男は寺を出て行くと、大門のところでつまづいて転んだ。
倒れた拍子に1本の藁(ワラ)が手に触れた。
「ふーん。これがお告げなのか」と、藁を持って歩いて行くと、男の顔のまわりを虻(アブ)が飛び回る。うるさいので捕まえ、藁に結んで持って行った。

女車

歩いて行くと、長谷寺に参詣にきた女車が男の横で停まった。中に乗っている幼児が男のアブが欲しいと駄々をこねている。
従者からたのまれ、虻を渡し、代わりに蜜柑(みかん)を三つもらった。

疲れきった商人

男は蜜柑を木の枝に結び付けて歩いて行くと、大八車を引いた商人が、息もたえだえにハアハア苦しがって、ばったり倒れた。商人は顔を上げて蜜柑を指さした。どうやら喉がカラカラのようだ。
男が蜜柑をやると商人は気力を回復し、喜んで行李(こうり)に入れた食べ物を出して男を持てなした上、立派な布三反をくれた。

男はわらしべ1本が、布三反になったことを喜びながら歩いて行くうちに日が暮れたので、近くの粗末な家に泊まり、翌朝出発した。

身分の高い人の馬が、突然、死んだ

また歩いて行くと、立派な馬に乗って来る人に出合った。
その馬が、急に倒れこんで死んでしまった。
乗り手は、茫然としていたが、やがて、駄馬にのりかえて、供のものに死んだ馬の処理を命じて行ってしまった。

男が供の者に寄っていくと馬は、陸奥(むつ)産の名馬だと言う。
男は大切にしていた布一反をやって死んだ馬を買った。

※陸奥=青森県、岩手県、宮城県、福島県と、秋田県の一部。

長谷観音の方に向かって祈った

男は長谷観音の方に向いて礼拝し、「馬を生き返らせ給え」と祈った。
すると、馬は目を開けて、立ち上がった。
そこで、残った布一反で鞍を買い、もう一反で秣(まぐさ→馬や牛の食べる草)と自分の食料を買って、京に入った。

名馬は身分不相応

だが、貧しい身なりの男がこんな名馬を持っていると怪しまれると思い、売ってしまおうと九条までやってきた。
たまたま、何処かへ旅立とうとする人の家が目についたので、声をかけると、
「まことに見事な馬だ、買おう!」と言い、絹や布の持ち合わせがないから、この南にある田んぼと
米とで交換してくれと言う。
男は承知した。

その後、田んぼからとれた米を売って生活の元手にしたが、それからどんどん豊かになっていった。
これも長谷観音のご利益であると思い、尊んで参詣をし続けた。

今昔物語では、話がここで終わっている。
そこで、思いついたので、僭越ながら、もう1シーン付け加えさせていただきたい。

絶え間ない戦いや災害

当時、京では戦いや災害がたびたび起きて、多くの人々が苦しみにあえいでいた。
男は考えた。長谷観音のご利益で裕福になったのだから、受けたご慈悲を自分だけのものにしてはいけないと。
そこで、ありったけの金を使って、米はもちろんのこと、野菜や果物を作って困った人たちに与え、貧しい子供たちのために寺子屋を作った。

男は身を粉にして働くようになった。
そして、長谷観音に向かって、朝に、晩に、手を合わせました、とさ。


参考資料
長谷寺ホームページ
『長谷寺』2023.7.15(土)06:30 UTC「ウイキペディア日本語版」

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