へんてこりん

スケッチ

浜離宮恩賜庭園1

海水を引き入れた潮入りの池があったり、かつて、二つの鴨場があって、江戸城の出城(本城の周辺に築いた城)としての機能を果たしていたと言われる庭園である。現在、国の特別名勝、特別史跡に指定されている。
カテゴリー

三越前

今から20年ほど前、中央通りを銀座に向かって歩いていたが、三井本店の石柱と三越本店の赤の垂れ幕が気を引き、絵になりそうだったのでスケッチすることにした。店頭のライオンも入れたかったが、店前で描くと営業妨害になるので遠慮した。100m手前の歩道に持参の軽量アルミ椅子に腰を下ろすと描き始めた。「あら、こんなところで絵を描いてらっしゃる?素敵ざますこと。」 道行く通行人にほめられて、お礼を言ったのを覚えている。
カテゴリー

柴又帝釈天

柴又帝釈天は日蓮宗の寺院で正式には経栄山題経寺と号する。 帝釈天とは仏教を守護する天部の神様である。 9世住職の享貞院日敬(こうていいんにっきょう)は行方不明になっていた「帝釈天の板本尊⇒板の片面には南無妙法蓮華経の題目と法華経薬王品の要文が書いてあり、板の裏側には右手に剣を持った帝釈天像が描かれたもの」を発見したのが庚申の日だったことから、60日に一度の庚申の日が縁日になった。
スケッチ

拓洋と昭洋

1973年開かれた第三次国連海洋会議で、沿岸から200海里以内に所在する資源の管轄権が認められ、日本でも1977年、領海法及び漁業水域に関する暫定措置法が施行されて、200海里の漁業水域が設定された。 ただし、200海里の外でも、海底の地形や地質が一定の条件を満たす場合には、これを証明する科学的根拠があれば大陸棚の主権的権利が認められるというわけである。 やや、専門的になるが、大事なことなので、拓洋・昭洋に装備・搭載されている代表的なものを記しておく。 
カテゴリー

ルナ・ロッサ

定時制高校の帰り、江東区門前仲町の近くにレトロな喫茶店があった。ふらふらと思いつきで入ったことを、ふと思い出した。たしか高3で18歳だった思う。そのころ家は貧しく、昼は銀座で働き、夜は夜学に通っていた。喫茶店に入ったのは、その日は給料日でアパートに帰っても寝るだけ。高校を卒業した後、夜間大学を受けてみようか、などの悩みを抱えていた最中でもあった。
スケッチ

両国駅

JR総武線両国駅は、都心と千葉方面を結ぶ要所駅であるが、両国橋は、江戸時代、隅田川(当時は大川)が下総国(両国側)と武蔵国(浅草橋側)の国境であったため、大川はその両方にまたがっていることから両国橋の名称になったという。 両国橋を渡ると、すぐ浅草橋であるが、浅草の観音様にも近く、古くは、問屋や製造業が集まり、手芸、布、タオル、ボタン、アクセサリーなど、ファッションに関係した雑貨屋さんが立ち並び、若い人が大勢買い物に来ている。 両国橋は(昔は木の橋だった)商業的にも経時的にも、庶民にとって大事な橋だった。
スケッチ

駒形橋

駒形橋の浅草側のたもとに、駒形堂という社(やしろ)がポツンと建っている。 この辺りは、昔、隅田川で漁をしていた兄弟が、網にかかった聖観世音菩薩(浅草寺のご本尊)を陸揚げした場所で、隅田川に棲む魚類への愛護の必要を感じ、生き物の守護仏「馬頭観音」を祀ってある。 江戸時代は、聖地である浅草寺の管内ということもあって駒形堂は人気があり多くの参拝者が押し掛けたという。
雑事

わらしべ長者

長谷寺のホームページを見ていたら、今昔物語に由来がある「わらしべ長者」のことが載っていました。 「わらしべ長者」は絵本や童話でいろいろなバージョンがありますが、奈良・長谷寺のお話がもとになっていることを知り、イラストで描いてみたくなりました。
雑事

新宿御苑2

「上の池」に沿って、御涼亭の前に行くと、日傘をさした、和服姿の若い女性二人が写真を撮りっこしていた。そうでしょう。御涼亭は、ぼくが無意識のうちに2度もスケッチに来るほど魅力ある風景なのだもの。 御涼亭の中には人がたくさんいて庭園を眺めていた。 紅葉の季節、御涼亭から眺めた風景は見事で(たしか、ホームページの写真で見ました)、次は秋に来て、御涼亭の中から紅葉を眺めたい。
スケッチ

ガリンコ2号

ガリンコ号2号は、オホーツクガリンコタワー(株)が、紋別港で運航している砕氷船である。 「ネジを廻すと前に進む」原理を利用した「アルキメディアン・スクリュー」と呼ばれる螺旋型のドリルを船体前部に装備し、それを回転させて氷に乗り上げ、船体の重さを利用して氷を砕き、前進する。 少し見にくいが、船前方下に、お化けみたいに大きなネジが隠れている。